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「清和源氏の系図」

清和源氏の系図

清和源氏の系図

【清和源氏】
第56代清和天皇の流れをくみ、臣籍降下(しんせきこうか)により源姓を賜った一族です。
源氏の中でも最も有名な氏族を輩出した系統で、源頼朝・足利尊氏・武田信玄・今川義元・明智光秀などそうそうたる顔ぶれです。
一般に源氏といった場合、清和源氏を指します。

主な清和源氏氏族

● 摂津源氏【頼光(よりみつ)流】
源(多田)満仲(みつなか)の長男頼光を祖とし、摂津国に本拠を置いたため後にこう呼ばれました。
摂津源氏の後裔でよく知られるのは土岐(とき)氏(美濃源氏)です。
頼光の孫国房(くにふさ)が美濃国へ移り、その後光衝(みつひら)が土岐氏を名乗ったことにはじまります。

◆ 美濃源氏
土岐氏が代表的な氏族ですが、最初に土岐氏を名乗ったのは国房ともいわれ、諸説あり定かではありません。土岐氏は室町時代に最盛期を迎え美濃国の他、尾張国・伊勢国の守護大名も兼ね栄華を誇っていました。土岐氏の庶流に明智氏・蜂屋(はちや)氏・金森氏などがいます。

● 大和源氏【頼親(よりちか)流】
源(多田)満仲の2男頼親を祖とし、大和国を本拠としたため後にこう呼ばれました。
戦などの表舞台での目立った活躍はありませんが、子孫達はそれぞれの土地に土着し家は保たれました。庶流として陸奥石川氏がいます。

● 河内源氏【頼信(よりのぶ)流】
源(多田)満仲の3男頼信を祖とし、河内国を本拠としたため後にこう呼ばれました。
源氏の中でも武士の源氏といった場合、この河内源氏を指します。
源頼朝・足利尊氏・新田義貞・木曾義仲・武田信玄らはすべて河内源氏の流れをくみます。
河内源氏は関東に勢力を置き、広く発展しました。傍流として石川源氏・常陸源氏・甲斐源氏・信濃源氏があり、この他庶流として足利氏・新田氏がいます。

◆ 石川源氏
源義家(よしいえ)の6男義時(よしとき)が河内国石川を本拠とし義時の息子義基(よしもと)が石川姓を名乗ったとされています。鎌倉幕府が崩壊し、勢力も衰え各地に散ったとされています。三河の石川氏は義時の子孫だといわれています。

◆ 常陸源氏
常陸国に移住した河内源氏の一門をいい、義業(よしなり)の子、昌義(まさよし)が佐竹郷を本拠とし、佐竹氏を名乗りました。有力豪族と婚姻関係を結び、着々と地位を築いていきました。源平の合戦では、源氏ながら平氏へ協力して、頼朝により所領を没収されますが、後の奥州合戦では頼朝に従い家を保つことができました。

◆ 甲斐源氏
甲斐国に移住した河内源氏の一門をいいます。義家の弟義光が甲斐守となり、その子義清が武田郷に土着し武田氏を称し甲斐武田氏がはじまります。源平合戦の際、義光の孫信義は頼朝に協力し信濃国へ攻め込み武功をあげ、後に大勢力となりますが、頼朝に警戒され失脚します。しかし、5男信光だけ頼朝に気に入られ、甲斐・安芸守護を兼務します。ここから安芸武田氏がはじまります。後に戦国最強といわれた武田晴信(信玄)は甲斐武田19代当主です。庶流には出羽国浅利氏、蝦夷国松前氏などがいます。

◆ 信濃源氏
主に信濃国に移住した河内源氏の一門をいいますが、幾つかの庶流があり、源満仲の5男満快(みつよし)を祖とし、満快の曾孫、為公(ためとも)の子孫で伊奈氏、村上氏、依田氏。頼信の2男頼清を祖とする、信濃村上氏。頼信の3男頼季(よりすえ)を祖とする、井上氏。頼義の3男義光を祖とする、河内源氏支流、甲斐源氏一族の小笠原氏、平賀氏。木曾義仲を祖とする、木曾氏がいます。