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「明治暮らしの出来事」

明治暮らしの出来事

年号(明治)暮らしの出来事社会の出来事
元年(1868)横浜で立小便禁止明治維新
2年(1869)東京奠都 五稜郭の戦い 版籍奉還
3年(1870)華族の染歯、かき眉を禁止
4年(1871)庶民に羽織、袴の着用が認められる廃藩置県 岩倉使節団派遣
5年(1872)日本初の鉄道が開通
(新橋~横浜)
学制 大正暦の採用
6年(1873)滋賀県 ちょん髷に課税徴兵令 地租改正
明治6年の政変(征韓論問題)
7年(1874)石油ランプの普及民選議院設立建白書 佐賀の乱
台湾出兵
8年(1875)愛知で白菜の栽培が始まる樺太千島交換条約 江華島事件
秩禄処分
9年(1876)三菱会社、日本初のボーナス支給神風連の乱 萩の乱 秋月の乱
10年(1877)板垣退助が牛乳店を開業西南戦争
11年(1878)東京の温泉にシャワー登場竹橋事件
12年(1879)東京で日本初の立食パーティー
13年(1880)銀座で紙巻きタバコ本格販売
14年(1881)東京で鍋焼きうどんが流行明治14年の政変
15年(1882)子供の名で「自由」「自治」が流行壬午事変
16年(1883)少年野球が全国に広がる
17年(1884) バリカンの輸入
日本初のエクレア製造
群馬事件 加波山事件 秩父事件
甲申政変
18年(1885)マッサージが日本に紹介される内閣制度発足
19年(1886)コレラ対策としてラムネが流行ノルマントン号事件
20年(1887)
21年(1888)資生堂が練り歯磨きを販売
22年(1889)大日本帝国憲法発布
23年(1890)少年に喫煙が流行
24年(1891)東京で牛飯屋が激増大津事件 足尾銅山鉱毒事件
25年(1892)風月堂でマシュマロを販売
26年(1893)
27年(1894)東京で整腸剤としてヨーグルトを販売日清戦争
28年(1895)東京の工場に初の鉄骨建築下関条約 治安警察法 八幡製鉄所
29年(1896)
30年(1897) 入浴剤が初めて使用
31年(1898)秋田でニシン大漁のため学校臨時休校
32年(1899)東京湾のごみ埋め立て工事始まる
33年(1900)都市部に焼き芋屋増加
34年(1901)肉じゃがの登場
35年(1902)東大生が100mで世界新記録
(10秒24)
日英同盟
36年(1903)初の野球早慶戦、慶應が勝利
(11-9)
37年(1904)北海道でチーズを製造日露戦争
38年(1905)ポーツマス条約 日韓協約
ハーグ密使事件
39年(1906) 東京で偽札事件頻発
40年(1907)女性水着「シマウマ」が登場
41年(1908)義務教育が4年から6年になる赤旗事件
42年(1909)森永が板チョコレートを販売
43年(1910)東京に初のラーメン店が登場大逆事件 韓国併合
44年(1911)肝油ドロップが登場
45年(1912)
横浜で立小便禁止(明治元年)

明治初期の日本には長屋にこそ共同トイレはありましたが、公衆トイレというものがありませんでした。男性は、普通に道端で立小便をしていたそうです。
しかしこれが、外国人から非常に評判が悪く文明開化を標榜する明治政府としては、早急に改善する必要があり、明治4年に横浜で日本初の公衆トイレが建造されました。

日本初の鉄道が開通(明治5年)

国内で初めて蒸気機関車が走ったのは、嘉永7年のことです。これは実物の1/4サイズのもので、ペリーが2度目の来日の際に将軍への献上品として持ち込んだものです。開国後、欧米各国は幕府に鉄道敷設の申請をし、利権を得ようとしていました。
一旦幕府はアメリカに江戸~横浜間の鉄道敷設の許可を与えましたが、明治になり政府はそれを無効とし自ら直接鉄道建設にあたることにしました。
イギリスから技術・資金協力を得て明治5年9月12日、ついに新橋~横浜間に鉄道を開業しました。人々ははじめ蒸気機関車のことを蒸気船に対し陸蒸気(おかじょうき)と呼んだそうです。

東京で鍋焼きうどんが流行(明治14年)

東京の屋台といえば「夜鷹そば」があちこちにありましたが、西南戦争が終結したころ、東京の下町辺りで鍋焼きうどんがよく食べられるようになったようです。
当時の新聞には、「近頃は鍋焼きうどんが大流行で、夜鷹蕎麦を食べる人は少なくなった。府下に鍋焼きうどんを売る者は863人いるが、夜鷹そば屋は11人まで減ってしまった」と記されています。

少年に喫煙が流行(明治23年)

明治時代は、大人だけではなく子供も自由にタバコを吸っていました。当時は子供の喫煙を禁じる法律がなかったため、また、国産タバコの流通ということもあり誰でも喫煙できる時代背景がありました。
その後、明治33年に「未成年者喫煙禁止法」が制定され子供の喫煙は禁止されました。。

初の野球早慶戦(明治36年)

初めての早慶戦は慶應の三田綱町球場にて行われました。
早稲田が慶應に「挑戦状」を送り、慶應が応じた事によって行われた試合でした。
試合は11-9で慶應が勝利しましたが、当時早稲田は野球部発足から1年余り、対する慶應は発足から20年近い歴史を持ち当時最強を誇った一高に勝った実績も持っていました。
格下と思われた早稲田が大いに善戦したことによって慶應も対戦相手にふさわしいと評価し、翌年から定期戦を行うことになりました。